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「食」の移り変わり

縄文時代

日本には四季の移り変わりがあるので,山,川,海でとれる食べ物も季節に応じて変わった。自然のめぐみにたよった人々は,その中で,くらしのくふうをした。

縄文土器の発明により人々の食生活は大きく変わった。食べ物をにたりするばかりでなく,保存することも可能になり,いろいろくふうした料理が食べられるようになった。

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弥生時代

人々は竪穴(たてあな)住居の中で,魚や貝,しかやいのししの肉は焼き,生野菜,木の実などはそのまま,米は弥生土器で煮(に)て食べた。

 

米を主食とし、肉や魚、野菜、木の実などを副食とする食事が一般的になります食べ物は直接手を使って食べた。米づくりが始まったおかげで,食生活は安定していった。

米、くだもの、野菜、肉、魚、海草など季節のものを食べていました。当時の食事を、いいだこ、かぶ、青菜、鮎、干し柿、梅干し、小エビ、赤米、ハマグリを使って再現したものです。

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飛鳥時代

下級役人の食事

 

主食は玄米(げんまい)で,副食はいわしのにつけ,かぶのすの物,みそ汁,きゅうりの塩づけ,そしてお酒(にごり酒)と調味料としての塩がある。はしはまだ使われていなかった。当時は一日二食であった。

 

庶民の食事

都での仕事に地方からかり出されてきた庶民たちの食事は,玄米(げんまい)に塩,わかめやその他の海草の汁(しる),そしてゆでた青菜や山菜程度のものだった。

仏教の影響で、動物の肉を食べることがたびたび禁止されました。

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奈良時代

貴族の食事

 

皇族(こうぞく)や貴族のふだんの食事は漆(うるし)ぬりの食器を使用した。はしやさじも漆ぬりである。ふだんの食事ではあっても,全国各地から都に届いためずらしい材料が調理されて出された。たけのこ,なの花,ふきなどの野菜から,えび,さけ,たこ,かきなどの魚貝,きゅうりやなすのつけ物,かもの肉の汁(しる),ごはんなどぜいたくであった。なかでも,牛乳から作られた蘇(そ)はチーズのようで,たいへんぜいたくな食べ物であった。

 

庶民の食事

庶民(しょみん)や下級の役人の食事は,貴族に比べ,そまつで,主食の米と,青菜(あおな)の汁(しる),そして塩を,土器の器に盛り,木製のはしで食べた。

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平安時代

貴族の食事

 

強飯(玄米を蒸した物)と魚貝類や野菜などに、塩や醤醢<ひしお>(味噌・醤油の先祖)などをつけて自分の好みで味つけをして食べたようです。出されたものに,はしを少しつけて食べ,あとはかたづけてしまう習慣だった。食品の種類も多くなりたいへん豪華になりましたが、魚貝類や肉類の多くは遠方から京都・奈良に届けるため、ひものなどに加工してあり、新鮮なものはあまり食べられなかったようです。

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鎌倉時代

武士の食事

質素を尊び,いざ出陣にそなえる武士の食事は,玄米の飯と焼き魚や芋類、うめぼしなど3種類くらいのおかずに、調味料をそえただけという質素なものでした。

 

鎌倉時代には中国から禅宗という仏教とともに精進料理が伝えられた。動物や魚の肉をやめて,野菜などを使った。

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室町時代

武士の食事

 

武士は,質素だが栄養のあるものを食べていた。主食は玄米をかために煮たおかゆ。おかずはあじの焼いたもの。煮なすや野菜の煮物。大根の漬物と梅干。味つけに醤(ひしお)や塩をつけて食べた。

 

庶民の食事

これは,職人のふだんの夕食を想像してつくったものである。麦と米を混ぜたごはん,焼きはぜ,ささげの塩づけ,しじみとせりのすまし汁がある。

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安土桃山時代

南蛮(なんばん)風の食事

 

南蛮人(なんばんじん)との貿易を進めた西日本の大名は,ワインをビードロのグラスで飲み,牛肉のステーキや豚肉のシチュー,たいのてんぷら,さらに,がんもどきやかまぼこなど,加工食品も食べるようになった。

しかし、庶民の口には、入らなかった。

カボチャ、ジャガイモ、トウモロコシ、トウガラシ、スイカ、コショウ、てんぷら、ぶどう酒、カステラ、コンペイトウ、ビスケット、ボーロ、パン、サトウキビなどは、この頃にヨーロッパから伝わった。

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江戸時代

大名の食事

 

これは大名の夕食。一の膳(ぜん)には鯛(たい)の塩焼きとはまぐりのすまし汁(じる),清酒。二の膳には,きすの煮物(にもの),野菜の煮物,ぜんまいの煮つけ,漬物(つけもの)とかぶのみそ汁(しる),そして白米のご飯。ごうかな食事であった。
初期は質素でしたが次第に絢爛豪華となっていきました。

 

町人の食事

  

町人の夕食は質素(しっそ)だった。だいこんのみそ汁と野菜の煮(に)つけの一汁一菜(いちじゅういっさい)。それに,たくわん,白米と麦を混ぜたご飯がふつうであった。
食事をする時,箱膳(はこぜん)を使用した。食べ終わると自分が使った食器やはしを,そのままお湯で洗い,箱膳にしまっていた。仕事に早くつくための心がまえである。

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江戸のファーストフード

  

江戸や大阪などでは,庶民が手軽に食べられるような,てんぷら,うなぎの蒲焼(かばやき),二八(にはち)そばなどの料理屋台(やたい)が現れた。

 

東京湾でとれたこはだを使った寿司や瀬戸内海でとれたたいを使った押し寿司(おしずし),そのほか,いなりずし,とうふにみそをぬった田楽なども屋台で売られた。寿司やてんぷらは庶民の食べ物だった。

  

江戸の町には,6000もの食べ物屋があった。その中に,これまで高級なお菓子として武士が食べていたせんべいやおこし,まんじゅうや大福を売る店も現れた。江戸時代は,お菓子も庶民が食べられるようになった。

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画像の出展

出典:IPA「教育用画像素材集サイト」 http://www2.edu.ipa.go.jp/gz/
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